東京湾に浮かぶ要塞「海堡」
海堡(かいほう)とは、海上に人工的に造成した要塞のこと。東京湾には、明治から大正にかけて作られた「第一海堡」「第二海堡」「第三海堡」の3つの海堡が存在していました。
第一海堡の着工が1881年(明治14年)、第三海堡の感性が1921年(大正10年)。約40年に渡る大工事だったそうです。(1923年の関東大震災で大被害を受けたそうです……)
このうち、上陸禁止であった第二海堡への一般の観光が可能になったということで、参加してみることにしました。
JTBの第二海堡上陸ツアーに参加!
今回参加した第二海堡ツアーは、申し込み段階では最少催行人数に達しておらず、催行未定の状態でした。そのうち、参加者数が増えたようで、無事に催行が決定。開催当日の模様をお届けします。
AM 8:30 三笠桟橋に集合
京急線・横須賀中央駅から集合場所の三笠桟橋に向かいます。品川駅から特急を使っても1時間近くかかるので、事前に電車の時間を調べておきましょう!
集合場所の三笠桟橋は、横須賀中央駅から徒歩で15分ほど。この日は天気が悪く、雨が心配される天候でした……。
朝8:30から受付が開始されます。名前の確認と、誓約書にサインをします。
ツアーにおける注意事項
- 海上は寒いので、上着があると安心です
- 第二海堡での傘の使用は禁止です
- 第二海堡での水分補給以外の飲食は禁止です
- 第二海堡にトイレはありません
その他の禁止事項は、ツアーの注意事項を確認してください。
AM 9:00 出航
出航の15分前(AM 8:45)には集まるよう指示があり、10分前に船へと乗り込み始めました。船上での座席は自由席です。前方席は見晴らしがいいんですが、波が高いと水被りするのでご注意ください。
洋上で揺られること20分ほど。浦賀水道を横断して見えてきたあの島が、第二海堡です。
明治から大正にかけて造成された、正真正銘の人工島です。4万1,300平方メートルもの面積を誇ります。
完成は今から約100年前の1914年(大正3年)。第二海堡の着工から完成まで約25年。当時の技術水準を考えると、とんでもない大工事だったようで……
AM 9:30 第二海堡に上陸
現地ガイドさんの話によると、波が高い場合は桟橋から上陸できず中止となるそうで、ツアーの催行率も65〜70%程度なのだそうです。
今回のツアーは、北の桟橋からの上陸でした。波打ち際に見える石は「間知石(けんちいし)」と呼ばれ、波力に耐えうる石だそうです。当時のまま残っているそうで、関東大震災にも耐えたとか。
参加者は2チームに分かれ、それぞれガイドさんについて解説を受けることになります。一台ずつ手渡されたのは、FMで受信するタイプの受信機。イヤホンでガイドを聴きながら進みます。
第二海堡側から北の桟橋を見たところ。ご覧の通り、堤防は無いに等しく、波が高い日には上陸できないのも納得です。
船の向こうに見えるのは、堤防と呼んでいいのか躊躇してしまうほどに背の低い堤防です。
観光用に整備されているわけではないので、自然に崩れたそのままの状態になっています。(むしろそういう状態が見たかったので問題なし)
イギリス積みで建設されたレンガ塀「掩蔽壕(えんぺいごう)」。当時のレンガの積み方には「イギリス積み」と「フランス積み」があるそうです。(イギリス積みは長いレンガと短いレンガを交互に積む方法)。
以前にTOKIOが「鉄腕DASH」のロケで上陸したこともあるので、覚えている方も多いのでは?
本来はこの下に通路があったそうですが、埋められてしまったとのこと。昔はここに住みついている人もいたのだとか……
海堡の中で最も目立つのが、この第二海堡灯台。高さは12メートルあります。
第二海堡灯台の初点灯は明治27年9月、その後改築を重ねて現在の灯台は4代目で、昭和58年3月のもの。外壁はFRP(繊維強化プラスチック)製で、叩くとコンコンと軽い音がします。
眼下に見えるのが、第二海堡の最西端の広場です。
広場に下る途中で、掩蔽壕を側面から見ることができます。このレンガは、当時の小菅監獄(現在の東京拘置所)で収容者たちによって焼かれたものなのだそうです。小菅監獄はもともと監獄として使われる前は、煉瓦製造所だったということを後で知りました。
西の広場には、15cmカノン砲が置かれていたそうですが、現在は見る影もなく崩壊しています。
カノン砲が置かれていた場所の地下には、弾薬庫があったそうです。
西の広場を経由して、南の桟橋方面へ向かいます。
このように、ところどころで崩壊した壕の跡を見ることができます。ちなみに、第二海堡は、千葉県の埋蔵文化財包蔵地に指定されているそうです。
沈下崩落した地形。こんなのなかなかお目にかかれない。この中には、地下建造物も隠れているそうですが、崩落の危険があり、内部調査は行われていないとのこと。
南側から見ると、文字が書いてあるのが分かります。こちらには「FORT.」
こちらには「NO.2」。つまり「FORTRESS NO.2=第二要塞」のことです。
ただ、この文字、誰が書いたのかがわからないということです……。どうもこの第二海堡、以前は自由に上陸できたそうで、その時に書かれたのではないかということ。
第二海堡の電力を担うソーラーパネルの総工費は約5億円かかっているそうです。
戦時中に軍によって持ち込まれた植物が2種類あるらしく、写真にあるのは食用のウチワサボテン。もう1種類はアロエらしいのですが、誰も見たことがないのだとか……そんなことあるんだ。
第二海堡のシンボルのように残っているこの建造物は、かつて防空指揮所だった場所。
この防空指揮所に上ると、千葉から横須賀まで360度にわたって東京湾を見渡すことができるそうです(上ることはできません)。東京湾の要所に第二海堡が作られた意義がよく分かります。
海の向こうは千葉県富津市。手前に見える小島が「第一海堡」だそうです。距離にして約2.5km。第二海堡と違って、第一海堡は水深4メートルと浅すぎて、船では上陸できないとのこと。
ソーラーパネルの間にも、カノン砲が設置された跡が残っていました。こちらは太平洋戦争時のもので、作りが新しいのが特徴です。
北の桟橋近くにある倉庫の周りには、波でさらわれた木やゴミが散乱していました。こんな廃墟なかなか見られません。
のべ50万人の職工人夫、約65億円の工費をかけた第二海堡ですが、記録では1発の弾も打っていないのだとか。日露戦争当時、第二海堡の噂を聞いて、来なかったというエピソードもあるそうで、海上の要所として建造したその見識は間違いではなかった、ということでしょうか。
AM 10:30 第二海堡から退出
見学の時間は約1時間ほどで終了。北の桟橋に戻って出港です。
第二海堡を後にします。
三笠桟橋に戻る際に見えた堤防。ガイドさんから聞いた話だと、この規模の堤防であれば、ガット船が10隻、潜水士10数名を動員して、約1〜2年で作れるとのこと。
開国まもない明治14年に建造が開始された「海堡」。ろくに機械もない中、人の手で人工島を作り出したノウハウは、のちに関西国際空港や中部国際空港、ポートアイランドなどの礎になったと言えます。
AM 11:00 解散
三笠桟橋に戻って、現地解散です。
戦艦三笠も見学してみよう
三笠桟橋のすぐ横には、戦艦三笠が常設展示されています。
三笠は世界三大記念艦の一つとされています。
日本の「三笠」、イギリスの「ヴィクトリー」及びアメリカの「コンスティチューション」は自国の独立を守るための重要な海戦において勇敢に戦い歴史的な勝利を収めたことから世界の三大記念艦といわれています。
http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/mikasa/big3.html
観覧料金は一般600円とリーズナブルなので、ぜひ見学していってください。
軽く回っても30分、じっくり見ると1時間以上かかります。
主砲の巨大さとか凄いので、お時間があればぜひ。
まとめ
東京湾上にこんな巨大な建造物があったこと、それを明治〜大正時代の技術で作り上げたことに驚きを隠せませんでした。心残りは、天気が悪かったこと……。晴れていたら、もっといい写真になっただろうに……。
100年以上も残り続けるこの歴史的な人工島、興味のある方にはぜひ上陸してほしいのですが、ツアーは常時ではないようで、早め早めの情報収集をオススメします。
おまけ
ところで、なぜ16:9と4:3と画角の違う写真が入り混じっているのだろうと疑問に思われた方、お気づきいただきありがとうございます。
実は4:3の画角の写真はiPhone XS Maxで撮影した写真、16:9の画角の写真はDJI Osmo Actionで撮影した「4K動画から切り出した静止画」です。動画から切り出した写真でも遜色なかったので使ってみました。